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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

2007年 春 その1

2007/04/06
祖父 「自分らしい生き方・お仕事(65531)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 私には3人の祖父がいる。ちなみに2人の祖母は2006年に立て続けに亡くなった。


 祖父は一人だけ健在で、本当の意味で私が「おじいちゃん」としての思い出を持っているのは、その本当は血のつながりのない祖父だけである。

 ぜいたく…といえるようなことの初体験はたいてい祖父がらみだった。初うな重、初にぎりずし、初ビーフステーキなど…結局我が家がケチだったということだが(笑)。

 今でも私にとって大切な(でも日頃全然連絡していない)人だし、ぜひ長生きして欲しい。

 さて、他の二人は私が生まれる前と生まれて1年以内に他界している。

 母方の祖父は、戦争で兵士として死んだ。実は子どもの頃、ひいばあちゃん(その祖父の母)のうちに飾ってある数枚の写真の中でいつもその若い人の写真だけがなにか気になっていた。当時何回、「あの人は誰?」と私は聞いたことだろう。

 今も生きている祖父が本当の祖父ということになっていたから(今もご本人にはそうしている。変に誤解を受けても困るので。実の祖父以上に「おじいちゃん」であることはゆるぎないが)、まわりのみんなは結構答えに困っていたのを覚えている。なにせ祖父が死んだのは母が赤ん坊の頃のことだし。

 頭を撃たれて、それを押さえた日本手ぬぐいがお骨と一緒に届けられたなんて話を聞いたことがあったのだが、それさえ一度も見ぬまま、曾祖母から祖母に引き継がれ、もう祖母の遺品として処分してしまったらしい(たぶん)。

 子孫の社会科教師としては「生きた教材」(死んでるけど…)として使うことを許されたかも知れない…。

 3月25日の下関帰省の記事の写真に、手前にお墓が大きく写っていて、そこに「なんだこれは?」という文字が書いてあるのに気づいた方もいらっしゃるのではないかと思う。

 時代だなあと思うのだが、まだ戦時中だったので、墓にもこんなことばが刻まれていた。

 「支那事変に参加 安達部隊 竹田(鼎?)部隊 宮井隊に属し 昭和16年6月5日 中華民国山西省河津県魏家院北側の戦いに於いて戦死す 行年24歳  陸軍大佐 吉田栄治の書」
 
 実は母の適当な記憶により、ずっと何年も南方の島で散ったと思っていたのだがこの記述だとそれこそ「南京陥落」いわゆる「南京大虐殺」とかあのあたりの可能性もあるのだ…。

 当時、どんな気持ちでどんな暮らしをしていたのか、知りたい気持ちもあるが、残念ながらこの部隊の記録は「インターネット」ではヒットしない。もしかしたら書いてくれた方の記憶違いで何かが違うか、実在しない適当な情報が伝えられたのか…。

 それにしても、24歳…。「おじいちゃん」というにはちょっときびしい。

 でもおかげで自分の生があることにただ感謝。

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2007/04/08
硫黄島の砂 「最近観た映画。(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 もう昨年だが「硫黄島からの手紙」を劇場で見たことを記事に書いた。

 そして、関連するDVDを今日自宅で見た。

 流れからすると次に見るのは「父親たちの星条旗」であることがとても自然なのだが、そこはやはりひねくれてしまい、今回見たのは「硫黄島の砂」(1949年 アメリカ モノクロ)なのだ。

 なぜこれかと問われれば、答えは簡単、500円で販売していたからだ(笑)。

 内容は、日本人のことなんて人としてとらえていないけど、主役側(アメリカ軍)の人たちの戦場でのヒューマニズムが描かれていてなかなかおもしろかった。

 モノクロでなければ正視できないくらいの生々しい戦場の様子。

 何が恐怖をかき立てるかというと、アメリカ軍が攻めていく向こう側に、二宮君(硫黄島からの手紙の)たちの姿が見えてしまうことだ。想像力っていうのも、時にはない方が楽だ…。

 たぶん、戦争の中で心をなくしていくこと…っていうのは、恐怖から離れるために、自分が死ぬかも知れないことも向こうの敵にも命があることを忘れて、ただ戦うことなんだな…と思えた。ただのマシーンになった方が自分は楽になれるから。そしてその一つ一つの積み重ねが「命令する人」…その上の「命令する人」さらにその上の「命令する人」となっていけば、自分は死なない楽な立場で戦いを続けられるのだろう。そしてたくさんの犠牲を出し続ける…。

 そんな戦争ですら美しいと勘違いするような人たちが、主導して教育改革を発表したり、知事になったりした今日、そら恐ろしく思ったのだった。

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2007/04/09
バッテリー 「最近観た映画。(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 入学式の裏枠で、今日まで休めた。最後の日は意地でも何か仕事じゃないことを…ということで、映画を観に行った。

 ちょうどいい時間帯にあったのでこれだけだったので、「もう数年前(流行る前)に小説を読んでいるから映画を見たくない」と思っていた「バッテリー」を観た。

 平日の朝一番では、お客は10人もいなかった…。

 ストーリーはわかってるから途中でトイレに行っても悔いなし…くらいに思っていたのだが、何ともすばらしく引きつけられた。

 映し出される情景が、自分が読んだときに頭に描いたものを、裏切るのではなく、より豊かにしてくれる。

 さらに、野球部の生徒たちのイメージも、なんだかよく見つけてきましたという感じで、すんなり入った。よくある、小説から映画になったときの違和感が、私には全くなかった。

 気持ちいいのは、エースのフォームがちゃんとしていること。実写版の野球ものって、「あれじゃあ、いい球は投げれないよ」とか「あのスイングじゃホームランってことはないでしょう」ということが多々あるのに、そういうことも気にせずに観られた。

 いくら何でも、巧役の俳優があんな剛速球は投げないと思うが、映画を観ている間は「投げても不思議じゃない」気がしたからたいしたものだ。(一応私も10年間の中学野球指導者ですからだまされにくい人の部類なはず)

 で、「前に小説を読んだ」はずなのに、結構感動してしまった。ちょっと泣きそうになった(笑)。

 野球に興味がない方、ルール知らない方にもお勧めの映画です。

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2007/04/10
スシ食いねェ! 「ひとり言・・?(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 今日は出勤して授業の準備をした後、隣町のF市で昼食を食べた。F市は米軍基地があり、結構国際的な街である。

 ひとりで回転寿司の店に入った。

 L字型の長いカウンター席だった。

 私はその角の席に案内されたのだが、一列15人くらいみんな迷彩服のARMYだ!

 寿司屋なのに前方はみなアメリカ人、しかもみんな軍服…いくら国際的な街とはいえ、かなり驚きの光景だ。

 私の座った席は、L字カウンターの短い方の日本チーム(6人くらい)の最前線だ!

 私に近い方から4名は女性隊員。

 ヒスパニック系の人、アジア系の人、アンジェラ・アキ風だけど性別の判断に悩む人…など多彩だが、なぜか全員ちょっと太め。

 いや結構太め。訓練は意外に厳しくないのか?

 端の二人は特によくしゃべる。わけのわからないことばをしゃべりながら(英語だよ!)、スシの皿を重ねていく。

 もう少し静かなら、「日本のスシはどうですか?」 なんて国際交流も生まれるのだが、こりゃとりつくシマもないので、黙って「スシのなんたるか」を見せるしかない!?

 なんたるかの前に、まず皿の色の確認が大事だ。もちろん、伊万里か有田かの確認ではなく、どの色がいくらなのかの暗記…店内には一部(赤・紫・緑)しか書いていないので、メニュー表でしっかりと見た。

 赤(100)・紫(150)はOK。緑(250)はどうしても欲しいとき、ちょっとなら…。いいのが流れてくるけど値段がわからなくて躊躇した黄色の皿は200円という新しくできた区分であることも判明。それ以外の金色とか銀色とかの皿は「禁止」だ。

 欲しいけど我慢するのではない。高いお皿のものは、回ってきても、「最初から興味がないようなそぶりを見せる」…これがスシのなんたるかだ!

 最初の一皿に紫皿のハマチ系の魚をとる。

 案の定、私の手元に熱視線が送られている。やはり、彼女たちは、この日本男児がどんなものを頼むのか、日本文化のなんたるかに注目しているらしい?!

 そんな注目の中、次々と(いや本当はじっくり悩むからなかなかとらない)数皿を食べた後、握り職人さんが、「ハイ、本日おすすめの『中トロ中落ち軍艦巻き』! 限定品!」と言いながら数皿を置いた。

 さすがは軍人(陸軍っぽいけど)、『軍艦』ということばに反応している。

 そんな反応よりも素早く、紫色の皿であることを確認し、さっと手に取った私の行動に、隊員たちも反応。

 残りの皿が回るところに近づいて、じっと軍艦巻きを見つめていたが、にらまれたまま、軍艦数隻(お皿)は流れていった。

 米軍の監視下に置かれた日本艦隊…見逃してやるといったところか。

 さて、こちらも、なんだそれはというようなものを見せつけたくて、「しめさば」を注文。

 しかし、もう興味なさそう。

 女性隊員たちは、特注の『カリフォルニアロール』 数人分が届きそれを熱心に食べていた。

 へえ、あれがそうなのか…とこっちの方が興味を持って見てしまった。

 メニューに「カリフォルニアロール」の小皿はあるが、そんな大きいのはのっていないぞ。

 お前ら、明らかに『通』な『常連』客だな!

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2007/04/11
はめられた? 「自分らしい生き方・お仕事(65532)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日、今年度から新たに勤務するS中に行った。

 来週からの授業に備えて、授業の持ち方の確認や、選択授業の開始日時や募集内容の確認など、どう考えても必要なことなのにまだ何も連絡がないから、昨日こちらから連絡し予告して本日行ったのだ。

 しかし、アポありにもかかわらず、要領を得ない教頭だか副校長だか…。

 いろいろ渡すものがもっとあるだろうに、会議室に地理の教科書と指導書だけ持ってきてくれた…。

 しょうがないので、私が座る予定の、まだ誰のかわからない荷物がたくさん積んであり、中を拭いてもいない机(イヤミ)…に案内してもらい、そこで待機して、必要なプリントをもらったり、こちらから関係の先生を捜し出して訪ねたり…。

 一緒に同じ学年の社会科を持つ『一番肝心な人』の午前の授業が目一杯なので、休み時間ごとにアタック…簡単には話が終わらないのでチャイムが鳴ると中断…ということはまた1時間他のことをして待つしかない。やることはいっぱいあるからいいのだが、全体でまだ紹介もされていない人(私)が職員室にずっと居座るのもいかがなものか?

 そのうち、教頭が仮の時間割を持ってきてくれた。「そうそうこれこれ、いるよなあ」と思いながら口では「ありがとうございます」。

 見て、がく然!

 枠は確かに、指定したとおりの場所に入っている。しかし書いてある学年が聞いていたのと違うのだ。

 私 「えっ、一年生って聞いてましたけど?」

 教頭 「えっ、そうでしたか。すみません、お願いしたいのは二年生なんです…。」


 なんだか申し訳なさそうに言うし、まあしょうがないか、こっちも仕事だからいいか…なんて思っていたが、時々職員室に来る二年生男子とかの様子を見ると…うーんえらく大変そうだぞという感じ。

 考えてみれば、初々しい一年生だから、大変そうなここの学校でも一年限りならと思いOKを出したのだから、電話でちゃんと伝え聞いていれば断った可能性だって少しはあったのだ。持ち上がって2年生を持つのと、横から入って持つのとでは全然違う。こりゃ、重大な連絡ミスだ。

 そんなことを思いながら、副教材を見に他の場所に行く。その後、さっきの『肝心な人』と少し打ち合わせをして自分の受け持つ内容がやっとわかる。2年生の地理のみで(私は本当は歴史が得意だが)、残っている単元も普通の順番じゃない。昨年度の人が変な順番でつまみ食いをしたその尻ぬぐいの感あり。

 それ以外にも2年と3年の選択授業を受け持つからその準備のために、いろいろな先生に話を聞いたりした。基礎と発展に分かれているようなのだが、私の受け持つのは2年が基礎と発展1時間ずつ、3年が基礎2時間。これも当初聞いたのと内訳が違う。3年が発展2時間と聞いていたから、もし「基礎をやり直すために問題集をやる」とかが基礎コースの定番でも、発展コースで自分のやりたい「社会福祉」をテーマにした選択授業ができる気になっていた。

 内訳が違っても、まあ1時間だけ残るから、それでもいいかな…と思っていたら、最後の灯火も消えた。

 「なぜ、同じ教科の先生が常に二人入っているのか」と思いきや、同じコースを同じ内容で開設して、2つに分けたり合同にしたり習熟度別にしたり、全教科でそんな選択授業らしいのだ。そうなっているのは基礎も発展も同じで、結局どちらも「受験対策」的な内容や使う問題集が決まっていて、年間計画として出されていて、もう何年もそうやっているそうなのだ。

 そんなの今さら自分だけ変えられるわけがない。

 今回の仕事、別に俺じゃなくてもいいじゃん…。

 なんだか、脱力…。頼まれたとき、電話で教頭に「選択授業は、こちらでやりたい内容ができるのですか?」と聞いた時に「そう思います」と言ってたくせに…。

 彼は、本当に現場のことを何も知らなくて選択授業についてそう語り、さらに私が入る学年まで間違えていたのなら、そうとうなダメ管理職である…。

 一方、もう一つ可能性があるのは、わかっていてしらばっくれていること。いわゆる「はめた」というやつだ。どうやら、1年生にも講師が入るらしいのだ。もしかしたら、そちらの人がやりやすいよう配慮して1年生にして、近隣のライバル校(ケンカのね)にも長くいて少々のことはなんとかするだろうと勝手に思った私を急きょ2年生に回したのではないか…。時間割を見ていると、なんだかそうするために「学年の時間」とかを動かした形跡があり、なんだかとても怪しいのだ。

 もしそうだとすれば、今度はとてもいやなことを平気でするヤツであり、やはりダメな管理職である…。

 なんだか腹も立ってきたし、待ちくたびれたし、「あー、もう話全然違うし、やーめた!」と言い出しそうな衝動を抑えてくれたのは、時々かまいに来てくれる、H中の時の同僚で体育のTさん(昔2年7組)。なれた人とちょっと会話するとまあ少しは気も晴れる。こっちもこの話を今から断ってまた探すのも大変だし、一度その気になったし、どうせ今年は厄年だし、久しぶりに今年は少し苦労しようと思っていたし、もういいか!という気になった。その上、社会科の先生の中には18年くらい前の講師時代にお世話になった方もおり、さらに2学年に野球部時代のライバル校(といってもこっちは一度も勝っていないが)の監督がいたり、いろいろ知ってる人もいるから「まあいいか、今回に限り許してやる」ということになったのである。

 そして帰りに書類をとりに事務室に寄ったのだが、用事で校内のどこかに出ているらしくてなかなか戻らない。慣れてないからこちらから探しようがない。廊下で立って、他の書類でも読んで待っていたのだが、気分的にはなんだかおもしろくない。

 そんな時に声をかけてくれた人がいた。

 となりの部屋で卒業生?の相手をしていた「不登校生のための相談室?」の先生だ。さすがそういう人の心の動きをつかむのがうまいのか、私の心の乱れを察してか(笑)、「よかったら、こっちの部屋でお待ちになりませんか?」と声をかけてくれた。

 教師じゃない人はこんなに気遣いができるんだなあ…と自戒も込めて感心・感激。

 何か話していて、落ち着くオーラを出していた。こういう方が校内の一角でヤンキーの子や不登校の子に寄り添っている学校なら何か学ぶこともあるかな…と少しやる気になって帰ったのであった。

 私も学校に行きたくなくなったらこの部屋に出勤しよう!

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2007/04/12
C校にごあいさつ 「自分らしい生き方・お仕事(65532)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨年度、C校として紹介していた中学校の特学、とても楽しかったし、このブログのネタになることも多かったのだが、今年度はお別れである。

 週1日、ここに来ることができるようにうまく講師枠が入るとよかったのだが、そうはうまくいかず、今年度は3年目のI中(A校改め)と新規のS中に3日ずつ行くことになった。

 3日ずつだと週5日制の公立では???と思うかも知れないが、週1日は両方(I中で3時間やって電車で移動してS中で2時間)…結構忙しい。そして、Sの小学校にも給食交流で週2日行く。講師だけで週19時間、Sの給食も時間枠にすれば21時間…上限目一杯の先生と大して変わらない。

 C校がそんなに好きならそちらを優先すれば…というところなのだが、残念ながら時給にすると約3倍の開きがある。収入が減っても家に入れる金額は以前と同じ…という鬼嫁ルール(笑)のもとでは、さすがにそうもいかないのだ。

 なので、今年度は「稼ぎ優先の年」にして、また来年度以降、講師枠の入り方によっては復活させていただけたらなあと思っている。少なくともよく知っている子がまだいる今年は、休日の行事などで時々行けたらなあ…というところだ。

 なんだかんだいっても、指導補助員(介助員)の仕事も大変なのだが、週1日のこの日が癒しになっていたし、自分が授業の責任者ではなく過ごせる時間は気持ちが楽だった。何よりも、かつての同僚でその頃から助けていただく存在であったS先生と会えるのもいい気分転換だった。どこまで恩返しになったかどうかはわからないが、保体科でバリバリ生徒指導主任から特学に転向したその学級の立ち上げの時期に立ち会えたのは何よりおもしろかったと思う。

 さて、今日は授業がまだない最後の日…お昼前にC校に行き、急だったので年度末にあいさつし損ねていた管理職(一人は教え子の父)にもあいさつをしてから、教室に向かった。今日はちょうど調理実習。本当はごちそうになりにいったのだが、結局手伝うことに…。その方がこちらも楽しめてよかったが、いたずらK君の班にいたせいで、あやうくお椀一杯の水を頭からかけられるところであった…。相変わらずおそるべし。

 おなかいっぱい食べて、午後の片づけをして、6時間目の前に2クラスが一堂に集められた。

 避難訓練に関するお話…なんてことを言って集めていたが、そうだったらそれぞれのクラスでやれるから、「もうびっくりさせようとしてS先生たら…」という感じである。

 30秒で避難経路の話が終わった後、私への色紙贈呈・握手会(笑)などやっていただいた。昨年度は行けなくなるはずが急に行けるようになったのですでに「お別れ会」は1年前に経験済み(笑)。2枚目のサヨナラの色紙をいただいてしまった。ほんと、気を遣っていただいてすみません。

 そして6時間目は、当たり前のように数学の授業の個別指導のお手伝いに入るのであった。

 流れで何となくそうなったが、今日の私はただ遊びに来た人だったはずなのに!

 とにかくいろいろとありがとうございました! この経験は、結構宝です。



昨年度は調理の曜日だけ行っていたので「調理の先生」となっていた。おかげさまで、結構料理のレパートリーができた。

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2007/04/16
S中デビュー 「自分らしい生き方・お仕事(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
 このSは息子の方の「S」ではなくて、私が今年度から行き始めた「S中」の方のSです。

 今後たびたびややこしくなると思いますがご了承ください。どこかでアルファベットにしないと関わった学校の数が増えすぎてわからなくなってきたので…。

 で、このS中は、私が結構大変なところにいたときに、同じく大変だとされていたところ。私たちは、自分たちが大変なときに「でもS中のみなさんはもっと大変なんだから…」と自分たちを励まし(笑)、S中の人たちは「でもH中のみなさんはもっと大変なんだから…」と励まし合っていたという(笑)、因縁の学校である。

 管理職によると「今は平和なものですよ」ということだったのだが、今日、学年集会に出てみると…「はいはいはいはい」と思ってしまうような「なつかしい」光景であった。

 だいたい今時、学年6クラス以上(正確な数は匿名性を持たすために載せません)で、どの学年も40人にほぼ近い…それだけでも大変だ。さらにその昔からの地域性も…ということで、集まってきた生徒たちのいい加減ぶり、さらに何かあるたびにすぐざわつきはじめる感じ…どこかで見たような感じだ。時々怒る先生がいたが、もう自分が怒鳴りつけたい衝動に駆られながら(笑)、ああ俺講師だからこんな場でそんなことしなくてもいいんだったと苦笑いするのであった。

 幸い、H中の時はまわりのみなさんがいい感じだったので、生徒たちもだんだん自律していった感があったのだが、「ココドウナッテシマウノダロウ?」

 さて、1クラスだけ授業があった。向こうも普通、最初くらい様子見で警戒しそうなものだが、厚かましいヤツとか、威張って寝ようとして注意されるヤツとか、失礼なヤツとかいろいろいて、危うく初回からきれそうになってしまったがなんとか持った。これがまだ何クラスもあるかと思うと…こりゃ大変だ。たぶん同じ2年生でも持ち上がりのI中が「癒しの日」になることはまちがいなさそうだ。

 授業から戻ってきて、そんな感想を持っていたときに、ある「たより」(学年とか学校とか学級とか)が職員室の机上にあった。

 相田みつおさんの詩が載っていて…

「長い人生にはなあ どんなに避けようとしても
 どうしても通らなければならぬ 道というものがあるんだな
 そんなときはその道を だまって歩くことだな
 …以下略 」

 私は黙っては歩けないけど、タイミングがよすぎて笑った。

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2007/04/18
手強し 「自分らしい生き方・お仕事(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
 今週は、新たに行き始めたS中の2年生の授業が各クラス1回ずつある。

 まだ3分の2しか終わっていないが、いろいろなタイプのなかなかのヤンキー君が、『これでもか、これでもか』と出てくる…さすがは選手層の厚い学校である(笑)。

 2つ目にやったクラスが割と普通だったので、「最初のがすごかっただけか?」と思ったが、その後もすごいところが続き、どれくらいがこの学校のこの学年のノーマル状態かまだわからない。

 今週は自分の中で、「出会いを大切に週間」(笑)として、当初は「まだ怒らない」予定だったのだが、そんな状況の学年ではないので「怒っても、切れて怒鳴りつけない(笑)」に変更したのだが、しょっぱなから、この先生はなめて平気かどうか、『さぐり』を入れているような、わざと今言われた授業の約束事を破るようなヤツがいて、結局つい怒って一瞬すごんでは、「…なんて俺に言われないように気をつけよう」とか「なんちゃって」とかつけてごまかすのであった。それ以上お互いに一線を越えないさぐり合いが続いている。

 中には、「もう首根っこつかんでやっちゃいました…けり合い」と語る今年来た先生もいて、なかなかハードボイルドな世界である。

 というわけで、私は一応「出会いを大切に週間」継続中である。

 ついでだが、本日は初授業クラスの授業中に、歯科検診が入って、引率させられた。あまり聞いたことのない話だ。この時間に来るって聞いてないし、まだ話は半分だったのに…。

 知らない人たち(笑)を率いて、出席番号順に並ばせて保健室に連れて行って、静かに待たせる…。

 ちなみにこういうことは、「普通の学校」では、「前もって学年主任か担任がその時間に当たりそうな講師に個別にお願いしておく」か「養護教諭が時間割を見てお願いしておく」か「空き時間のその学年の教諭が呼びに来て連れて行って交代してくれる」かが行われているはずだ。というか荒れてる学校でもそれくらいのことは私のいた学年ではやっていた(と思う)。

 頼まれればやりますけど実施要項ももらっていないし…養護教諭にはお礼を言われたが、終わってからもこのファインプレイは学年の先生たちには気づかれないままであった。みんなもうちょっと、いい仕事しましょう(笑)。

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2007/04/19
ギャップ 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日はI中3時間・S中2時間授業をするハードな一日。昼食込み1時間半の間に20kmの移動も含んでいる。移動手段は、晴れたら電車、雨なら車…朝のS送迎状況次第だ。

 今週は、S中の次々わいてくる新キャラへの大人の対応(笑)にエネルギーを注ぎすぎるせいか、I中の2年生たちの授業が「ここは学習院か?」とまで思えてくるのだ。

 チャイムが鳴ればほぼ座ってるし、あいさつもすぐ始まるし、忘れ物もあまりないし、授業中は去年と同じ形でマイルールにのっとって進行するし。「笑い」も「ひらめき」も「へえ」も計算通り?の3時間が終わる。

 本当はほめまくりたいくらいなのだが、昨年度と同じようにしているだけなのに変にほめられても何だろうから黙っている。が、入学当初のことを思えば、学年の先生たちを中心に各授業担当がしっかりやってきた成果だと思う。難しい2年生もちゃんとつながりを持って持ち上がるとすごくやりやすい。

 さて、午後からはS中のまた新しいクラス。まずは廊下にいる人たちを、「はい、チャイム鳴り終わってるぞ」とかき集めるところからはじめ、前の時間の黒板を消させるのに誰が担当かわかるまで数分、号令かける人を見つけるまで少しの間があり、みんなが立って号令がかかりはじめるまで数分…「今週はまだだまだだ」とがんばって怒鳴らずに待ちながらやっと話し始めるが、もう勝手にしゃべるヤツとかがいて、自分の名前を言うよりも先に、「静かに」とかそんなところからはいる。

 そういう人たちを少し怒ったり、いじって興味を持たせながらだんだん話に引き込んでいくことは、ある意味おもしろいことだったり、自分なりに達成感もあるかも知れないが、そんな面倒はやはりない方がいい。マシンガンのようにしゃべった(笑)。

 そんなS中でやっと感心できたこと。1クラスだけ、ちゃんとチャイム着席をしようとしているクラスが最後にあった。ぎりぎり間に合わなかった女子が、記録をとっている生徒に、「ねえ、セーフ、セーフだよね」と言っていた。(どう見てもアウトだったが)
しかしそのタイミングは、他のクラスの普通の人の状態だ。このクラスは今年他校から来た先生が担任。もしかしたらその辺のこともあって大物が少ないとかそういう面があるのかも知れないが、少なくともこの状況をちゃんとしようとしている人であることは間違いない。

 そして、もう生徒が意識してがんばっている。確かにここの子たちは小学校の時から何かとぼろぼろな面もあるようだが、やればできる(かもしれない)んだから、この状況を何とかしようとしている担任の先生とそれなりに前向きなこのクラスの子たちに少し感心した。授業もほんの少しだけいつもの他クラスよりやりやすかったかも知れない。

 この学校では、各クラスとも週1時間だけの授業なので、私自身がクラス作りに協力…というような場面はまず無理だと思うが、それぞれの担任がどういう色を出してくるのか、結構楽しみである。(完全に他人事としてだが…)

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2007/04/24
全国一斉 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日行われた43年ぶりだとかの全国一斉学力テスト。

 もちろん勤務校の中学校でもやっていた。

 問題は前日に届いて厳重に管理し、答案用紙がこれから指定の色つきビニール袋に入れて戻される。

 作業を見てて勝手に思ったことだが、こういう事務処理を各校の教員に任せたわけだから、全国中でやっていれば、「昨日届いたテストどこに置いた?」 「わかりません」 「えっ、あれ資源ゴミかと思って出してしまいました…」とかそういうことがどこかで1~2件は起こっているのではないだろうか…。

 我が校は無事に終わったようでした。

 言い忘れたが、もちろんこんなテストばかばかしいし反対である。

 都道府県レベルでこうしたテストを5教科ですでにやっているうちの都道府県では、その試験のために、授業の進度は追い立てられ、点数とることを意識させられ、すでに市町村ごとの戦いのようになり一番ビリの地区は針のムシロ…。

 こういっては悪いが、最初から地域ごとにある程度学力は違うし、塾に行っている人が多いとか、私立中に流れた人が多いとか、諸条件が全然違うのに一律に比べられること自体あほくさい。

 多少はその生徒たちによってやり方が変わるとはいえ、私たちのような講師は複数校に出入りしており、同じ人間が同じ学年を教えても、学力テストでは力にばらつきが出る。

 私は平均点が1位の地区でもビリから2番目の地区でも授業をやったけど、学力は私に左右されたわけではない(笑)。もちろん、少しでも力をつけられるといいなと目の前の生徒に合わせた努力をするけど。

 でもたぶん、ゆくゆくはこういう結果を教員の評価(特に教諭の)とかに使おうとしているのも見え見えで、ますますこの教育界は、「人間づくり」とかから遠く離れた方向性に進んでいくんだろうなあ…と思う。

 残念ながら、RCサクセションが歌った『僕の好きな先生』のような人はもう居場所がなくなっている時代に入ったようだ…。ああいう人が、人を育てたり、人を救ったりしていること(高校時代の忌野清四郎はこのモデルになったのんびりしたおっさんのおかげで高校をやめなかった?らしい)に、教育改革に夢中の政治家たちは気がつかないんだろうな。



 煙草を吸いながら いつでもつまらなそうに 遅刻の多い僕を 口数も少なく叱るのさ 僕の好きな先生 僕の好きなおじさん…

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2007/05/01
川原の写生会 「自分らしい生き方・お仕事(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
 勤務3年目の地元のI中では、毎年この時期に写生会をしている。総合的な学習の時間にカウントして、違う名前の行事にして行っているが、教育委員会の判断でこれもそろそろ厳しいらしい。

 行事の如何はともかく、笑ってしまうというか、まいったなあ…というのは、ある学年の写生会の会場は、毎年うちのそばの川原なのである。

 知っている人はよくわかるであろう(知らないほとんどの方、すみません)、うちから100mくらい下った、よくバーベキューとかをやっている「あの橋の下」なのだ。

 ということで、会場に行こうとして道に迷った生徒なんかがうちのそばをうろうろしたりする。私が地元だということはばれていても、自宅の位置まではばれていないので、できればそのまま知られずにおきたい。この日を乗り切れば後は知られても別にいいのだが、「ここだよ」とみんなが指さしていくような状況は避けたい。

 この2年間は、この行事の日に他校に出勤していたので関係なかったのだが、今年はI中の授業日なので私はお休み。Sを小学校に送って帰ってくると、ちょうど中学生の川原への集合時刻に我が家に帰ることになる。

 細い坂道を下ると川原、そこから枝分かれする細い道を登ると我が家。普通に帰ると絶対に姿を見られるから…自宅に帰れない!

 ということで、家のそばまで帰ってきた私は、自宅に入らずに、「川原までわざわざ来てくれた講師の先生」のふりをして、みんなの集合場所へと行った。集合整列したところに現れ、担当の先生の話を一緒に聞き、みんなが散ってそれぞれの場所で絵を描き始めるところを「見回り」したりして、十分にアリバイをつくった後で、そっと我が家に消えていった。

 これで、このあたりで姿を見られても「仕事に来た人」となったのだ(笑)。

 あまりにも冷えてきたので、自宅に戻ってから、「先生たちにコーヒーでも差し入れるか」とポットを持ってもう一度出てきた。

 絵を描くことに夢中な生徒には会わないはず…だったが、水をくみに上の方でうろうろしている女子に発見されて、「先生、何でポット持ってるの?」とつっこまれる。

 「あっ、先生たちだけコーヒーとか飲むんでしょう!」というすばらしい正解を出しているのをすっと受け流し、「絵の具が溶けやすいようにお湯をくんできた」とわけのわからないことを言いながら去っていくのであった。

 ちなみにそのすぐ後に雨脚が強まり、学年全員学校に引き返していくのであった。私は早めに自宅に戻り、しばらくは息を潜めるのであった。

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2007/05/13
親子遠足? 「自分らしい生き方・お仕事(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
 3年前に担任していて、この春、小学校を卒業したみなさんと、その保護者のみなさんとの会があった。

 同窓会でもないし、クラス会でもないような、保護者飲み会でもない、何という名称がふさわしいのかわからない不思議な体験だ。
 
 親子懇親会…のようだが、親と子は別々に動いていて交流を深めないし…(笑)。

 中心は、巨大な公園の中、バーベキューガーデンでの食事会である。

 子どもたちが遊んでいる間に、母&父(1名)軍団が準備をしてくれていた。よく考えてみたら、宿泊生活で飯ごう炊さんをかなりやっていた子どもたちなのだから、遊ばせてないでこきつかってもよかったのだな…と少し思いながらも、中学生になったばかりの毎日の生活を聞いていると、慣れるまでは大変そうだから、ゆっくりできてよかったのかも…と優しい気持ちも少し。

 自分自身もいろいろと、楽しかったり、忙しかったり…体は休まることがなかったが、心のビタミン(古いな)をもらったようだった。

 どうでもいいことだが、結構驚いたこと。テーブルにペットボトルの「お茶」と「果汁飲料(Qoo)」と「ジンジャーエール」が置いてあった。中学生(といってもなったばかり)の選んだ飲み物は、どのテーブルも共通してほとんどの人の第1希望が「ジンジャーエール」!
いや、なんとなく若い頃は炭酸飲料が好きな気もするが、ジンジャーはちょっと変わった味でもあるし、やっぱり「子どもはQoo」だと思うのだが、難しい年頃のお子様方は、「それでも炭酸」らしい。おかわりの不足から「ジンジャーエール」をめぐる小競り合いなども見られた(笑)。

 私は麦の炭酸飲料が好きだが、車で来たし、今日のイベントはノンアルコールだった…。


 さて、子どもたちとは、毎日会ってた頃から考えるとずいぶん久しぶりなのだが、あまりブランクを感じず、『たまに中学生みたいなことを言う小学生だな』という感じで接していた。

 食後に、「ハンモックがいっぱいある遊具」に出かけていったが、着いてみると、「この遊具は小学生まで」と書かれている。

 警備員さんもいて見守っているようなところで、大人が揺らしたりしていると「揺らさないでください」と放送がかかったりするところ(以前そういう光景を見た)なのだが、せっかく歩いてきたし、「大丈夫だよ、ちょっと前まで小学生だったんだから」という私のいい加減な発言に勢いを得て、まるで誰にも中学生とは思わせないようなはしゃぎぶりで鬼ごっこなどやっていたようだ。最上段を166cmのT君がのしのし歩いているのにはちょっとこっちもどきどきしたが無事終了。

 今回、おうちのみなさんとのかかわりがぐっと楽だった。もちろん当時は、当事者同士だからやはりお互いに気を遣う存在だった。今は、お母さん同士はいろいろな学校内でのつながりがあるだろうが(多くの人が同じ中学校)、こちらはどなたとも仕事関係でつながる心配がほぼないので、お互いに思い切ったことが言える…それが楽なのだ。

 特に中学校生活のことへの質問は、日頃は勤務校の先生(教諭)をフォローする立場にまわりがちな講師の鏡?の自分が、他校のことには全く気にせずにズバリ回答できるので楽だ。

 たとえば、中学生のカバンの異常な重さの話。長くなるので少し省くが、ていねいな指導の学年は「置いていっていいもの」と「毎日持ち帰るもの」を明確にするので、そこまでひどくならない。ただ、特に気にせずに「置き勉するな」とだけ言う学年は、みんな最初苦労するが、そのうち自然に崩れて置き始め、ていねいでないから特に指導はなく、まじめな子はどうしていいかわからないけどなしくずし的に置くようになり、あるいは逆に持ってこなくても平気になり…そのうち学年全体で生活の他の部分もルーズに…ということになりがちだ。

 ちなみに先週のことだが、ていねいなI中はその日、3クラス約110名が全員忘れ物なし。しかも2回連続。翌日授業のあった、特に置いていいものを定めていないS中では、1クラスの中で忘れ物が何かある人(もちろん社会科だけで)が約10名。こうなってくると、これは生徒のせいにだけはしてられないなあ…とも思うのだ。

 他にも、「中学生ってこどもが難しくなるけど、うちの子、大丈夫なんでしょうか? ~~~こんな感じで反抗期なのですが…このまま中3とかになったら…」という質問も、「もうすでに難しいなら大丈夫です。実は1年の時が本当は一番難しくて、よくわかんないんですよ。」と、いい加減回答だがある意味真実。ツッパリ系の子なら行動がエスカレートするのは後半だが他の子は急にいろいろ要求される中1の変化に対して不安定。私は正直、中1の学級経営が一番苦手だった。たいていクラスの女子に嫌われる(笑)。他クラスからはなぜかOK。結局身近な担任が憎まれ役をやるのが一番いいのかなあ…なんて思う。

 家に帰ってから、ビデオカメラの映像…(今の生活をひとことずつ語ってもらったり、今日の活動を映していたけど面倒になってほとんどとらなかった30分間もの…をダビングした。生徒にカメラをあずけた10分のうちの8分はカメラのふたが着いていて白い画像(スイッチ切り忘れ)だった(笑)。
 
 日頃、大きくてお生(生意気)な中学生(特にS中)に慣れているせいか、今日会っているときは身体的な成長も態度の成長(でっかく)も気がつかなかったのだが、後からこうして見ると、小4のお子ちゃまだった頃とはみんな顔つきが違ってきているし、なかなかお生な言葉遣いだし、十分に第二次反抗期に向かっている人たちなのであった!

えーっと、ぐれたら、アフターサービスもいたしますね…。

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2007/05/16
人の縁 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 ここのところ、新しく行き始めたS中の話題があまり出なかったのは、「書くと学校の悪口ばかり…」になりそうだったので、本来あまり人の悪口を言わないのが売りだったはずの自分自身のためにも何かと黙っておいた(笑)。

 今回はその職場でつながった新たな人の縁の話。世間は狭いというか、地獄にも仏(笑)というか…知り合いの知り合いだとわかると何かやりやすくなるからふしぎだ。

 まず1つ目は、授業中に廊下を早歩きで選択で使う問題集を取りに行っていた時のこと。給食の配膳員さんにあいさつをしたら、「わらG先生ですよね」と呼び止められた。「H中で娘のAがお世話になったMです!」 かなり驚いた。ちなみにAは中3の時に担任したすごくいいヤツで、H中のテニス部が全国大会に出た時のキャプテンでもある。そして今は幼稚園教諭としてがんばっている。…そんな世間話をしようとしていたら、一緒に問題集を運ぶのに連れてきたひょうきんな中3男子に「先生、授業中です!」と突っ込まれて連れ去られた。

 そして給食の時間。副担任の先生や講師の先生は同じ部屋で食べる。新参者の私は結構静かにしている。そんな時に、この学校に来たその日もいろいろとあいさつや声かけに好感の持てたH先生がだんなさんの話をしていた。私のとなりの方に話していたので聞く風でなく耳に入っていたのだが、元ここの学校にいて、野球部の顧問で…あれそういえば苗字が同じだ…。思い切って聞いてみると、野球部の顧問時代に何度か練習試合をしてもらったりお世話になった先生がだんなさんだった。あまりの「美女と野獣」ぶりに想像だにしなかった…。

 そしてこの日の帰り道、S中からの帰り道にちょうどよい場所にあるスーパーに車で寄った。Sのあのドールのジュースもあり、私のビールもあり、インスタントラーメンも充実、買おうと思った色鉛筆もトンボ製があり、納豆買って、牛乳買って、そういえば外に宝くじ売り場もあったし、この店は完璧だ!…と思いながらレジで精算。これは今後もここで買い物するようだなと思い、サービスカードを作りにサービスカウンターへ。「サービスカードを作りたいのですが…」といった瞬間にフリーズ。まだ誰だかはっきり思い出せていないが明らかに見たことのある顔。店員さんの名札を見て、少し記憶が戻る。おかしかったのは、彼女は「先生ー」とひとこと言ったきり、そのまま「サービスカードの説明」に突入した(笑)。その間に完全にどの学年のどのクラスの子かほぼ思い出したので、説明後は「まるで最初からわかっていたかのように」ふるまったのであった。

 しかし昼間っから(この日は家庭訪問で午後カット)、ビール・インスタントラーメン・グレープジュースをまとめ買いする自分の学校の元先生を見て向こうも不思議だったに違いない。

 さて、これらのことがすべて同じ日に起こり、びっくりしていたのだが、今日は事務室の主事さんの娘さんが、直接関わりのある学年ではないけれど1年間H中で一緒だったとわかったり、その人の話から、ある男の先生が、やはりH中での教え子の父であり、駆け出し講師時代にお世話になった先生の夫であることも判明したり、講師のお兄さんが偶然にもI中に今年から来ていて、2校でご一緒する(この2校はとてつもなく離れているのにである)ことがわかり、そのこともあって講師のお兄さん・おじさん5人で飲み会をしよう…ということで盛り上がったり、少しずつ人の縁で働きやすくなるのであった。

 とはいえ、「これはうかつにうらみを買うことや悪いことはできんな…」と人生がこわくもなるなあ…。

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2007/05/22
進展? 「自分らしい生き方・お仕事(65533)」 [ 最近のことの日記 ]
 S中での充実した?毎日はとても疲れる。週末に、「今週の残り授業は、前から行っているI中のみ…」という曜日になると、びっくりするほど心が安らぐ(笑)。

 生徒もいろいろいるし、本当にあきれかえるようなヤツもいるのだが、少しずつなじむものなので、慣れてきた。

 実は何かとストレスの元なのは、学年の教員の方だったりする…。

 昨年度の失敗を取り返そうと、新しく学年に入った方々がいろいろなことをがんばっているのははたから見てもわかる。休み時間も職員室に戻らずに学年の廊下にいたり、ノウハウをわかる人が立て直しに入っている。でも昨年度からいる人たちがのんきというか投げてるというか…。(だからこんなになったのだろうが)

 たとえば、チャイム着席を全然できないので、チャイム前に授業に行く私は廊下でこれから自分の授業を受ける人たちを促して教室に入れるところから始まる。で、出席確認とかしているといないヤツが必ずいるので、それを確認しに廊下に行くと学年の何人かがまだふらふらしている。そこから自分の次の授業のヤツを選んで連れ出して、他のクラスの子には入るように「一応」声をかける。この間のロスやぐずぐず号令や忘れ物チェックとかに時間がかかり、始まるのはチャイムから10分後。これじゃあ学習環境が整わない。

 以前、同じ市内のH中にいた時、確かに生活指導は大変だったけど、授業の成立を教員も他の生徒もがんばっていたから授業が大変…ということはほとんど一度もなかった。むしろ活発な意見が出てやりやすかったかもしれない。

 ちなみに先の「人捜し」と「教室入れ」の時に、当然他のクラスの授業の先生が迎えに来てしかり…のはずが、なぜかそういう時に廊下で会わないのが不思議なのだ。

 さらに…保健室に生徒を行かせる時に、「こういう学校では何か書類があるのでは?」と思い学年の先生に聞いたのだが、出席簿に袋が着いていてそこにある紙に、授業担当がサインをしないと保健室で見てもらえない(エスケープ防止)というシステムらしい。それはよくわかる方法なのだが、その紙がちゃんと着いているクラスが半分もなかった。それに気づいた瞬間のその先生(副担任)のことばは、「あら、ついてないところもあるわね、ちゃんと担任がつけなくちゃねえ」

 「お前が今すぐつけろよ!」とつっこみたくなったが、ほっといて、もうその紙自体を個人的に持つことにした。

 あと、講師軽視なのか配り忘れるのかは謎だが、保健室での検診関係も、避難訓練も、実施要項が配られておらず、そのくせその引率はこっちにお願いする…というあつかましさだ。この件については、過日、副校長にたくさん苦情を言っておいたので今までよりプリントが増えた(笑)ような気がするが、いらないプリントばかり増えたかも…。

 ちなみにうまく回転している学校だと、検診のあることは、養護の先生が前もって年間の検診予定を配ってくれていて、さらに当日の朝も声をかけてくれて、さらに学年主任とかクラス担任に念押しでお願いされる…という何重かの構造で伝えられるものである。

 S中のやる気なし先生のそんな様子を見ていると、なんだか協力してあげる気がなくなってくるのである…。

 実はこの学校の講師陣の机は一カ所に固められていて、日頃結構「教諭の作業台」に使われているのだが、そうやって座席が固まっているので休み時間とかに話す機会が多い。

 何年目かになっているお兄さん講師たちはみな「ひとくせ」と「一芸」がありそうなおもしろそうな連中だ。日頃もいろいろと話す機会はあるが、「ここに数年いる若者」の提案で、「みんなで思いっきり愚痴りましょう(笑)」と今週、講師陣の飲み会をすることになった。

 ある意味進展…。どんなびっくりネタが出てくるか、結構楽しみである。


 ついでだが、S中で14年前くらいに講師をしていた私の大学の友人は、講師陣みんなで申し合わせて1学期終わったら全員やめる…という意地悪を管理職にお見舞いしたことがあるそうだ…。当時、「えー、そんなのあり?」と思っていたが、今はなにか少し気持ちがわかる気がする…。


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